2009年1月7日水曜日

資本主義と自由④ 第2章 自由社会における政府の役割

『日本の統治構造』の頁で、省庁代表制についてご紹介しました。規制される側と規制する側が一体化してしまって、省庁が規制される側の利益代表になってしまっている、という指摘です。

これは何も、日本だけの問題ではなく、フリードマンも米国の問題として、かつて本書で指摘しているんですね。

『鉄道による搾取から消費者を守るために州際通商委員会ICCが組織された』、

その後、航空機等、鉄道が交通手段を独占しているとはいえなくなっても、まだICCは廃止されず、

『本来の目的から逸脱し、鉄道をトラックその他の脅威から守るための組織になっている』


さて、フリードマンの言によれば、自由を求めるならば、政府による強制はよくないので、できるだけ市場による配分を行うことが望ましいことになります。なぜならば政府、政治によって物事を決めれば、多数決で決まってしまい、小数意見が排除されるから。市場に決めさせれば小数意見も反映されるし、オーダーメイドで必要な分量だけ小分けできる。国家がやるとそうも行かない。

『いわば市場は実質的な比例代表制として機能する』

うまいですな。

市場で社会の絆がほころびる恐れが減るというんですが、これはどうですかね。今ならフリードマンも別のことをおっしゃるかも知れませんな。

では政府はどういう分野に必要なのか、

①市場にルールを適用して守らせること
②技術的独占と外部効果

②で技術的独占というのは、電話サービスなんかがこれにあたり、一社でやるほうが圧倒的に良い場合です。それでも、政府がやるより民間の独占の方が好ましい、とフリードマンは書いてます。政府は動きが遅いので、技術が変化しても対応できず、鉄道が逆に保護されてしまっている、先ほどのICCの例で説明しているんですね。

外部効果というのは、社会に役には立っていても経済効果を及ぼす範囲が限定できず、広く拡散してしまうケースです。都市の公園なんかは、たくさん人が通るので、いちいち料金を取っていられず、民間ではやっていけない。グランドキャニオンのような特定の場所で田舎にあれば、それを目的で人がやってくるので料金も徴収できて民間でも成立する。田舎の国立公園はやめて良い、ということなんですな。



2009年1月4日日曜日

日本の統治構造③(資本主義と自由関連)

日本の統治構造2

もう少し補足しましょう。
自由との関連です。

①日本では既存の業者が優先されるという意味で経済的自由は限定されている。
大事なことですが、省庁代表性は、既存の業界、すでに省庁から認められた業界、業界に所属している業者を代表しているということですね。だから、そこに、そうした政策コミュニティに所属していない人、業者は取り残されていることになりますな。当然新規参入や新機軸は既存業界秩序を乱すので制限されたり認められなくなったりするわけですな。

取り残された人たちを代表してはもらえない。だからTAC社長は泣き寝入りするしかなかったんですな。『日本の食と農』でも、農家はJA全員加入。加入しなければ補助さえ受けられず、守られない状況がある.

これでは活力ある経済など生まれない、感じがしますなあ。

それは良いとして、

②経済的自由が制限されている= 政治的自由も制限されることになる。

監督される業界としては自分達を代表している省庁=現政権を支持せざるを得ない。対立できるわけがありませんね。逆に、TAC社長のようなアウトサイダーを代表してくれる官庁は無いんですな。つまり、この点で政治不在なのと同じです。つまり、これ、官庁や既存業界団体に擦り寄っていかなければ新規参入や新しい試みは許されない。洗面台の無い散髪屋がなぜいけないのか。いろいろ屁理屈で難癖つけて認められなかったりするわけですな。

都度、既存の業界のその時の事情によって、官庁が恣意的な判断を下す、これがいけない。薬害エイズ事件、あれが起きた原因は何だったでしたかね。

恣意的、という言葉をこういう文脈で使ったのは、ハイエクです。『隷従への道』で、共産主義や全体主義ががいけない理由は法の支配によらず、支配者が恣意的な判断を下し、市場の自由な資源配分機能がゆがめられるから、という批判です。

共産党に擦り寄っていかなければ何もできない国、と日本の統治構造。基本的には似てませんかね。

自由な投票は認められていても、結局独裁政権とあまり違わない。投票に行っても、いまいちむなしい感じがするのはそのせいかも知れません。熱心に政治活動している人たちを見て、しらけるのもそのせいですかね。彼らは建前を言っていても自分のために活動している、ように見えてしまう。

参入制限や、規制はあって良いのですが、今業界を構成している人たち、政策コミュニティに属している人たちを守り維持するという観点では良くない、ということですね。




2009年1月2日金曜日

日本の統治構造②(資本主義と自由関連)

本書のテーマは日本の統治構造と、その改革への提言といったところでしょうが、どこにインパクトを感じたのか。

日本の政策決定、実行のプロセスを簡潔に説明しているという点です。

前回、赤字で強調しましたが、日本の省庁は、監督する業界を代表して政策立案を行い、監督する業界を通じて政策実行を行うというトコです。これ、官僚が業界サイドに立っているだとか、既得権者を守るばかり、だとか、それは天下り先確保のためだ、と指摘されることは多いのですが、本書はそうした現象面だけでなく、どう行われているのか、なぜ政治がそうした官僚のビヘイビアを修正できないのか、を説明しています。


官僚が規制緩和に反対するのは、権限を手放すことは組織の存在意義を小さくすること、予算を削られること、天下りを減らすこと、につながる、とかいう、単純な官僚悪人論は、やはりムリがありますな。

そうではなくて、彼らの存立基盤、支持基盤(省庁代表制であるので支持基盤を持っている)が業界団体なのだと理解すれば、非常に良くわかる。業界から嫌われたら、その部局は評価されない。すばらしいお役人だ、と監督する業界から支持されてこそ出世できる。


専修学校に進出しようとして認可を区にもらいに行くと、区の担当者は区の既存の専修学校の業界団体の事前了解をもらう必要があると言ったそうです。その団体の理事長に会いに行くと、マーケットの規模からしてこれ以上新規の学校を受け入れる余裕はないとして断られたそうです。業界内で申しあわせてTACの参入を阻んでいたそうです。ある種の談合ですね。 

これは区のお役人で、スケールがちょっと違いますがね。

著者は特にこうした点を批判しているわけではありません。頭デッカチに恣意的に国民を支配しているのではなく、民意の吸収ルートを持っている、ないしは、業界の意向に縛られて行動している、という意味でむしろ好意的に捉えている節もあります。

著者の主張のポイントとは違っているかも知れませんが、本書でプロセスが明らかになることによって、じゃあ、どうしたら良いのかを具体的に考えることができるようになりますな。

批判ばかりしていては、問題は解決しないわけですが、どうすればよいのか。

①各省庁の支持基盤、存立根拠を、監督する業界から切り離し、緊張関係を持たせること
②各省庁の支持基盤、存立根拠を、監督する業界以外の場に構築すること

この2つでしょうね。

官僚を批判しても仕方ない感じがしますな。むしろ、きちんと支える必要があるんでしょうな。監督する業界からそっぽを向かれたら何もできない状況を放置したままでは何を変えてもどうにもならなくて、もっと別に彼らを支える仕組み、そう、国民全体で支える仕組みが必要ですね。それがあって初めて、特定の既得権者だけでない、国民全体にとってあるべき政策が出てくるんでしょうな。


日本の統治構造①(資本主義と自由関連)

本書は日本の統治構造を分析した本で、私としてはここ最近に読んだ本では一番インパクトを感じました。まず、ざっとその内容をご紹介しておきますと、

①誤解される議院内閣制

議会と権限を分けあう大統領制と異なり、議院内閣制は本来強いリーダーシップを発揮できる制度なのだが、長く政権交代がなかったため、また閣僚も派閥推薦で選ばれて、派閥代表の位置づけとなっていて、首相自身で閣僚を選べない(小泉さんは例外)。かつ制度的にも首相権限が弱いということから、日本では誤解を生じた。本来は党総裁を押し立てて選挙にのぞみ、勝った政党が内閣を組織する。議会と大統領に権力が分散する大統領制よりはるかにリーダーシップを発揮しやすいはずだ、っていうんですね。

②官僚内閣制
日本では、首相権限が弱く、内閣総理大臣が上位の権威を持たないのであらかじめ官僚が根回しの上、異論の無かったものだけが閣議決定される。各大臣もポスト配分の関係から1年程度と短期交代で、十分政策を理解する間もなく官僚の振り付けに従うばかり。かくして、各大臣は各省庁の代表者として振舞うことに。各大臣は国民の代表ではなく、官僚を代表する形となり、官僚内閣制と呼ぶ。

③省庁代表制

省庁は積み上げ方式で意思決定を行う。稟議システムで長い時間をかけて反対の起こらないようにするが、時間がかかり大きな方針転換には向かない。ボトムアップで政策現場に近いところから発議するためスムーズに政策が行われるメリットもあるにはあるが、だから大胆な発想は生まれにくい。積み上げられた各政策の総合調整も行われるが、あくまで微調整。

各省庁は業界団体や関連の外郭団体を多く抱え、政策コミュニティを形成。各省庁は彼らの政策要請を吸い上げて政策を立案する。また、政策実施も、そうした業界団体など、監督する業界を通じて行われる。その意味で、各省庁は、監督する業界を代表しているとも言え、これを省庁代表制と呼ぶ。

国民は(政策コミュニティに属することで)投票や政治への市民参加という形をとらず行政に直接働きかけて政策実行に関与するルートを持つことができる。

欧米で見られるような、規制する側、規制される側という対立関係が弱い。対立関係というよりむしろ政策立案、政策実施を一部民間と共有することで融合関係が見られる。

④官僚化する与党
党本部が立派。党の部会で議員があらかじめ詳細まで議論を尽くす。官僚も事前説明にやってくる。族議員と呼ばれる有力議員には事前根回しを行う。政府の提出する法案は党の総務会で承認されてから閣議にかけられる。すでに国会提出された際には異論がない状況。かくして国会審議は儀式となる。野党との論戦のみ。すでに党で細部まで積めているので、修正にも応じられない。

与党で実力者となるには、勉強して族議員となり官僚に影響力を行使できるようになる必要がある。かくして、政治家も官僚的に細かな政策をベースに行動するようになり、官僚的政治家(行政的政治家)となってしまい、民意集約に大胆に動く政治家が減ってくる。行政運営や政策実施に関心を集中させてしまい、制度改変や政策間調整といった大がかりな政治に関心を失ってしまう。

⑤結論

本来の議院内閣制の意義を取り戻し、強いリーダーシップを発揮できるようにし、本来の国民のための政治を取り戻すべき。選挙で選ばれたときの総裁を首相にすべき。選挙抜きで総裁選びを党の事情でやるのもまずい、等々。