日本の統治構造2
もう少し補足しましょう。
自由との関連です。
①日本では既存の業者が優先されるという意味で経済的自由は限定されている。
大事なことですが、省庁代表性は、既存の業界、すでに省庁から認められた業界、業界に所属している業者を代表しているということですね。だから、そこに、そうした政策コミュニティに所属していない人、業者は取り残されていることになりますな。当然新規参入や新機軸は既存業界秩序を乱すので制限されたり認められなくなったりするわけですな。
取り残された人たちを代表してはもらえない。だからTAC社長は泣き寝入りするしかなかったんですな。『日本の食と農』でも、農家はJA全員加入。加入しなければ補助さえ受けられず、守られない状況がある.
これでは活力ある経済など生まれない、感じがしますなあ。
それは良いとして、
②経済的自由が制限されている= 政治的自由も制限されることになる。
監督される業界としては自分達を代表している省庁=現政権を支持せざるを得ない。対立できるわけがありませんね。逆に、TAC社長のようなアウトサイダーを代表してくれる官庁は無いんですな。つまり、この点で政治不在なのと同じです。つまり、これ、官庁や既存業界団体に擦り寄っていかなければ新規参入や新しい試みは許されない。洗面台の無い散髪屋がなぜいけないのか。いろいろ屁理屈で難癖つけて認められなかったりするわけですな。
都度、既存の業界のその時の事情によって、官庁が恣意的な判断を下す、これがいけない。薬害エイズ事件、あれが起きた原因は何だったでしたかね。
恣意的、という言葉をこういう文脈で使ったのは、ハイエクです。『隷従への道』で、共産主義や全体主義ががいけない理由は法の支配によらず、支配者が恣意的な判断を下し、市場の自由な資源配分機能がゆがめられるから、という批判です。
共産党に擦り寄っていかなければ何もできない国、と日本の統治構造。基本的には似てませんかね。
自由な投票は認められていても、結局独裁政権とあまり違わない。投票に行っても、いまいちむなしい感じがするのはそのせいかも知れません。熱心に政治活動している人たちを見て、しらけるのもそのせいですかね。彼らは建前を言っていても自分のために活動している、ように見えてしまう。
参入制限や、規制はあって良いのですが、今業界を構成している人たち、政策コミュニティに属している人たちを守り維持するという観点では良くない、ということですね。
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